2018年04月04日

笹と骰子〈落書き〉

奇妙なことに、死者は口に笹の葉を咥えていた。

点々と続く死体のどれもがそうだった。腹を貫かれた者、頸に槍を受けた者、死に方は様々だが、そのどれもが口の端から緑の葉を覗かせている。しかも、どう見ても自ら口に含んだのではなく、乱暴に、しかもおそらく槍で突き殺された後に笹の葉を口に突っ込まれている。

「こりゃあ」

又次郎が脚を止めた。

確かに薄気味悪い景色かもしれない。だが、立ち止まっている場合ではない。逃げなければ。

「なにをしとるか。先を急ぐぞ」

伊蔵は焦っていた。あれほど濃く戦場を覆っていた霧が、徐々に晴れてきている。今のうちに少しでも距離を稼がなくては間違いなく追撃を受ける。

「無理だ」

「どうした。血迷ったか」

伊蔵は腹が立ってきた。あれほど早く合戦に見切りをつけたのは又次郎ではないか。あそこで粘れば、首級のひとつやふたつ、手に入ったかも知れん。そうすれば。

「それとも、ここまで来て臆したか」

怒気をはらんで口調が激しくなった。又次郎は、しぃっ、と伊蔵を黙らせて小さく頷いた。

「ああ。臆した。」

「なにを言っとる」

確かに見つかっては不味い。伊蔵は声を低めた。が、怒りは鎮まらない。

「なにが怖いんじゃ、又次郎」

又次郎は無言で辺りを見回している。

「どうするんじゃ」

又次郎がようやく呟く。

「笹の才蔵」

一瞬、又次郎がなにを言っているのかわからなかった。しかし周りにある、数人の笹の葉を咥えた死体が伊蔵にその名を思い出させた。

可児才蔵。宝蔵院流槍術の達人。甲州征伐で十数余の首級を挙げた当代随一の猛将。獲った首が余りに多かったため、死体の口に笹を含ませ、自らが討った証としたと聞く。さまざまな大名家を転々とし、今は福島正則に仕えていたはず。

そしてその男は、今この関ヶ原に、そしておそらく二人の行く先に、いる。

「どうするんじゃ」

伊蔵は蚊の鳴くような声でそう言ったあと、ついさっきまったく同じ言葉を又次郎に叩きつけたことに気づいた。

ああ、わしはわしのこういうところが嫌なんじゃ。

又次郎はそんな伊蔵の自省を知ってか知らずか、伊蔵の眼を見て言った。

「どうする?」

前門の可児才蔵。後門には西軍の軍監。

伊蔵はニヤッと笑いながらもう一度言う。

「どうする、伊蔵。」


posted by 淺越岳人 at 21:11| Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

恩師と呼ばないで

恩師、という言葉をO先生に使うのはいささか抵抗がある。

O先生は高校時代の音楽教師だ。そしてなにより、おれの所属していた吹奏楽部の顧問でもある。だからもちろん、とてもお世話になったわけだし「仰げば尊しわが師の恩」では当然あるのだ。

それでも「恩師」って言葉が引っかかるのは、O先生はきっとそう呼ばれるのを居心地が悪く感じるんじゃないかと思うからだ。あくまで思う、だけど。

O先生は「ぼくの好きな先生」の例に漏れず、「ぼくの好きなおじさん」だった。タバコの臭いはしないけど、変な先生だった。

授業では声楽の課題曲は『魔笛』だった。しかも合唱ではなく、男女でのデュエット。まず女子とペアを作る時点で童貞にはきっつい課題だ。幸い吹奏楽部のおれは何人かの女の子から誘われる。あれほど真面目に音楽に取り組んでいたことが報われた日はないかもしれない。

学年末にはテストの代わりにレポート。テーマは「モーツァルトの死」か「ジョン・レノンの死」について、どちらかを選択。ちなみにそのとき参考資料として観た映画『アマデウス』は、大好きな一本になった。

学生時代はトロンボーンをやってたみたいで、定期演奏会では度々一緒に吹いてくれた。音量はでかいけど、全然上手くなかった。でも「プロはそんなに練習しないよ」と嘯いて、本番ギリギリまで練習にも来なかった。

タクト持つのも好きだったみたいで、頼めばうれしそうに指揮もやってくれた。ただ、音源を聴かずに独自の解釈で振るから、部員からの評判はイマイチだった。

合奏は誰よりも楽しそうだったけど。

それから、こんなこともあった。

ある日部活の先輩から「これ見てみ」と渡されたクラシックCDのライナーノーツ。文末の署名にはO先生の名前と、「オペラ評論家」の文字。肩書きはオペラ評論家、高校教師なんてどこにもクレジットされてない。

何者なんだ、あなたは。

先生にそのことを尋ねるとニコニコしながら一言、「ぼくは音楽家なんだ」。

そう、O先生は教師とか顧問とかである前に音楽家だった。そして、ただの高校生であるおれたちにも、それを求めた。

土日祝日問わず長時間練習したがるおれたちに、「そんなに必死に練習しなきゃいけないのかい?」「それはなにかが違うんじゃないかい?」と言って、あまり練習に付き合ってはくれなかった。コンクールで『カルメン組曲』からの抜粋を演奏することになったわれわれに、「じゃあ原典にあたらなきゃね」といって、3時間近いオペラの映像(しかもLD)をやたら良い機材で観せた。合奏中に「ここはウィンナー・ワルツでやろう」と言い出し、そこから当時のウィーンの社交界について長々と話した。

きっと先生は吹奏楽""としての練習だったりコンクールで勝つための練習だったり、そういうものには疑問を持っていたんだと思う。

だって、O先生は"音楽家"だから。

どうしたってスクールバンドが陥る、「音楽的」じゃない悪癖の数々。軍隊式の「練習」。効率重視・コンクール映えする選曲や解釈。原典や歴史背景を知らないまま演奏する愚。

超然とした態度を取ることでそこに疑問を呈しつつ、でも生徒にそれを教える=強制することはしない。自らのスタンスを提示しつつ、押し付けはしなかった。

O先生にとって「教える」って行為はあんまり"音楽的"じゃなかったんじゃないかな、きっと。

もちろん、こんなことを考えるのは卒業してだいぶたってからで、教育現場の末端の下請けとはいえ自分も「教える」立場になってからだ。当時は「あんま部活好きじゃないのかな、めんどくさいのかな」くらいに思っていた。そうじゃないってことが今ではわかる。O先生は部活としてのおれたちも好きではあったんだ。だけど、"音楽"の方がより好きだった。それだけだ。そして、それは大切なことなんだ。

まあこんなこと書きながらも、どこかではそんな高尚なことじゃなくて「家で新しいレコード聴きたいから休日は休みたいなあ」、それだけなんじゃないかとも思う。もしそうなら、それはそれで一人の"音楽好きのおっさん"として、やっぱりおれは苦笑しつつ尊敬しちゃうのだ。

おれが卒業してしばらくして、O先生は退官してしまった。個人的に話したのはその後、ブックオフで偶然会ったのが最後だ。

先生はやっぱりクラシックコーナーにいて、楽しそうにCDを選んでいた。

「何かいいの見つかりましたか」みたいなことを話した気がするけど、先生が何買ってたのかは覚えていない。「アサコシは大学行ってるのか」あんまり行ってなかったおれはへへっと笑うしかなかった。でも、名前を覚えててくれたのは意外だけど嬉しかった。

O先生と最後に会った本八幡のブックオフはその後、閉店してしまった。でもまだ、『魔笛』のアリアはちょっとだけ歌える。






posted by 淺越岳人 at 23:58| Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

落書:よくある短編SF

『エクスコミュニケーション』
設定
・GPS技術や携帯端末、セキュリティのインフラ化・ライフライン化によって「プライバシー」が消失した近未来
・端末を手放し「行方不明者(ミッシング)」になることそれ自体が保護、カウンセリングの対象とされる
・震災やテロを通して、監視=福祉という社会的雰囲気が醸造、好意が多数派
・「プロヴィデンスの眼」というシステム名もあいまって、陰謀論もあるがあくまでエンターテイメントレベル
・ほぼ犯罪捜査も自動システム化されているが、「行方不明」捜査は人間が行う、当然レアケース
プロット
・主人公の姉が蒸発、行方不明者に。家族もカウンセリング対象
・主人公は学生。システムについては意見なし。
・「探偵(ディテクティヴ)」とともに姉捜しに協力
・姉が「孤立の家」という「プロヴィデンスの眼」からの解放を謳うカルト教団にいることを突き止める
・姉を説得、次第にシステムに疑問を持つ主人公
・通報しようとした探偵を姉が殺害、主人公は姉を拒絶
・疑問は消えないまま、姉と教団も否定し一人社会に戻る主人公
課題
・『ハーモニー』との類似
・単純なディストピアでない、皮膚感覚的な気持悪さの表現
・設定のリアリティ
・ガジェットに工夫が必要
posted by 淺越岳人 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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